東京高等裁判所 昭和43年(う)330号 判決
被告人 足立統
〔抄 録〕
検察官の所論は、原判決は本件公訴事実とほぼ同趣旨の事実を認定しながら、検察官の死刑の求刑に対して無期懲役刑を言い渡したが、特に、本件量刑の基礎となる原判示第三の一及び二の殺人、強盗殺人の各犯行の動機、態様、被害結果、その他諸般の犯情にかんがみれば、その量刑は軽きに失し不当であると主張する。
よつて、所論に徴し、記録を調査し、当審における事実取調の結果及び弁護人の論旨を参酌して判断する。
一、いうまでもなく、死刑は、国権によつて犯人の生命を剥奪し、その社会的存在を抹殺する極刑である。そして国家は、死刑の威嚇力によつて一般予防をなし、死刑の執行によつて特殊な社会悪の根元を絶ち、これをもつて社会を防衛しようとするものであり、結局において社会公共の福祉を保持しようとするものと解すべきである。言いかえれば、仮りに犯人に有利と認められる個別的事情、例えば、犯行の偶発性、犯人自身の反省、悔悟の情、性格の矯正乃至社会復帰の可能性等が認められないでもない場合であつても、一般予防乃至社会防衛或いは全体に対する人道観上許し難い社会悪に対しては、右のような個別的事情を第二次的なものとして考慮し、極刑を科する必要のあることはまことにやむを得ないところとしなければならない。死刑が右のような重大な意義を有するものである以上、当該犯行に対し死刑を科するか否かにあたつては、犯行の動機、原因、手段、態様、被害結果等を十分考慮に入れるべきことは勿論、犯人の性格、年令、境遇及び生活態度並びに犯行に至るまでの経緯及び犯行後の情況、更には犯行の社会に及ぼした影響の如何等について、真に極刑に値するか否かを慎重に検討、考慮する必要があることは当然といわなければならない。
二、本件殺人及び強盗殺人の各犯行(以下、本件犯行と略称する。)は、原判決が、犯行の動機、態様及び被害結果等を含め、詳細に摘示しているとおりであり、その大綱は、被告人が、かつての勤務先に侵入した際、自己の刑事責任を免れんがため、住込使用人で顔見知りである根岸きぬ(当時七二年)を絞殺し、更に右犯行を隠蔽するとともに自己の金銭的欲望を満たさんがため、その直後、同じく使用人で顔見知りである根岸米三(当時七五年)を絞殺したというにある。もつとも、同判決はきぬに対する殺人の動機、原因について、罰金不納付による収監状の執行を受けるのをおそれたことであると認定したが、被告人がきぬを殺害したのは、収監状の執行を受けるのをおそれたことのみではなく、原判示第一の窃盗、同第二の住居侵入の各犯行の発覚をもおそれたものであることは、証拠(特に原審第五回公判調書中の、被告人の供述部分参照)上明らかであり、従つて、この点に関する原判決の認定が誤であることは、検察官も指摘するとおりである。そして、被告人の利益、欲望の犠牲となつた被害者両名は、何の罪、とがもない善良な老夫婦であつて、勤務先における評判もよく、他人に恨みを受けるようなこともなく、正直勤勉且つ平穏堅実にもはや幾ばくもない余生を送つていた矢先きに、突如として非業の死につき落とされた悲惨な運命に思いを致し、又、被害者両名の死体に現われている正視するに忍びない幾多の傷害の部位、程度によつてうかがわれるところの、被告人の加えた強力且つ執拗な攻撃を考え合わせるとき、本件犯行は、その動機、原因、手段、態様、被害結果の重大性等のいずれの面から考察しても、全く酌量の余地のない凶悪且つ残忍な所業であるというの外はない。殊に、きぬ殺害後の米三に対する犯行は、米三が煙草を出してひたすら被告人の気嫌をとるとともに、再三被告人に向つて「何でもいうことをきくから何もしないでくれ」と哀訴、歎願するにもかかわらず、現金、預金通帳等を強取したうえ、原判示のような手段で同人を殺害したものであつて、そこには一片の人間性すら認められないといつても過言ではなく、まことに残虐きわまりないものがあるといわざるを得ない。しかも、本件犯行が附近居住者を恐怖におとし入れたその社会的不安乃至衝撃が甚だ大きなものであつたろうことは容易に推察し得るところであり、これらの点をも勘案すれば、被告人の罪責はまことに重大であつて、許し難いものといわなければならない。
三、以上のような凶悪、残忍な本件犯行に徴表された被告人の悪性、反社会性については、如何に解すべきであろうか。この点につき検察官は、本件犯行に至るまでの被告人の犯罪歴、幾多の背信的行為、乱脈な生活態度等からその犯罪的傾向が固定していたのみならず、性格も粗暴で危険性が大きかつたのであり、本件犯行は決して原判決の判示するような偶発性の所産ではなく、被告人の有する悪性、反社会性が一挙に発現したものとみるのが相当であると主張する。しかしながら、検察官の摘示する被告人の犯罪なるものはいずれも比較的犯情の軽微な窃盗罪に該当するものであり、このような犯罪歴にみられる被告人の性格が、直ちに本件のような重大犯罪につながると考えるのはいささか早計であつて、このことは弁護人の反論するとおりである。又、検察官が背信的行為として摘示する幾多の事実については、必ずしも、その全部が検察官の主張するように背信的なものであつたとは記録上認められず、更に、被告人が原判示隅田川燃料林産株式会社(以下、会社と略称する。)をやめた後の生活態度が原判示のように乱脈であつたことは、争いのない事実ではあるが、これらの犯罪歴、背信的行為、生活態度等から、直ちに検察官の主張するように被告人の犯罪的傾向が固定していたとは断じ難い。そして、被告人の性格が、検察官主張のように一概に粗暴で危険性が大であつたとは記録上認め難いけれども、その性格中に、あまりにも自己中心的な攻撃性、激発性が存在していたこと、即ちその限りにおいては、被告人の性格に粗暴且つ危険な一面があつたことは疑いの余地なく、このような粗暴且つ危険な面が、前記のような乱れた生活態度というよりはむしろ浮浪生活に由来する切羽つまつた焦燥感及び劣等感に自然に影響され、本件犯行において端的に発現したことは、これを肯認せざるを得ない(特に原審鑑定人詫摩武元作成の鑑定書及び原審第七回公判調書中の、同人の供述部分並びに原審第五回公判調書中の、被告人の供述部分参照)。もつとも、原判決が本件犯行直前の経緯として摘示したとおり、当初被告人が会社の敷地内に侵入したのは、寝場所を求める以外に他意のなかつたこと、その後被告人が座敷の押入内に隠れることを余儀なくされてから、原判示のような被告人にとつては極めて偶然的な或いは予期しない出来事が次々と積重なつたため、遂に本件犯行に至るまで脱出の機会を失つたこと、被告人としては、きぬ及び米三に発見されるまでは同人らを殺害しようとの意思は勿論、金品を強取しようとの意思も持ち合わせていなかつたことなどは、いずれも記録上肯認し得るところであり、これらの事情に徴すれば、被告人が本件犯行を敢行するに至つた契機に偶然性の要素が存在していたことは否定し難いところである。その意味において本件犯行は、検察官の所論と異り、偶発的なものといわざるを得ないとしても、他面、被告人は会社内に侵入してから本件犯行中、絶えず、自己の指紋の残ることを警戒し、そのゆえに米三を殺害する際にも手袋をはめているという冷静さを失つていなかつた事実も認められ、この事実に照らせば、本件犯行が偶発的であるからといつて、必ずしも計画的犯行に比し、被告人の悪性、反社会性が軽いと評価することは許されない。ところで原判決は、末尾の(量刑の事情)の項において、被告人の性格中に、「小心で内気、気が弱い」面及び「社会的に未熟で適応性の乏しい」面が認められるとし、これらの面を被告人に有利な事情として挙げている。なるほど、被告人の父、兄或いは高校時代の教師らはいずれも原審において、被告人が小心で内気、気が弱い性格面を有する旨の供述をしている。しかし、後記四において言及するような、本件犯行後における預金払戻し(原判示第四の犯行)の状況或いは逮捕に至るまでマージヤン屋に借財を支払い、マージヤンに興じていた状況等に発現された被告人の大胆さと、右の性格面との矛盾は如何に解決すべきであろうか。この点については、会社をやめた後の被告人の前記のような生活態度及びこれに由来する焦燥感、劣等感が、徐々に被告人の性格を支配し、小心、内気、弱気から大胆へと変えつつあつたものと解するの外はない。又、前記鑑定人詫摩武元は原審公判廷において被告人の性格面につき、「不安に対する耐性が弱く、社会適応力の欠如した人格と認められ、現実の状態を的確に把握し適切に処理していく能力に欠け、自己統制力の弱い心理的な未熟な人格を想定させる」旨、原判決の挙げた前記「社会的に未熟で適応性の乏しい」性格面にほぼ符合する供述をしている。しかし、既に言及したような、本件犯行中、絶えず自己の指紋の残ることを警戒していた冷静さ、その他同犯行に発現された大胆さ及び右述べたような、本件犯行後の一連の行動に発現された大胆さと、被告人の教育程度とを考え合わせるとき、右詫摩証言及びこれに沿う原判示性格は、果して全面的に肯認できるであろうか。いさゝか疑問なきを得ない。本件犯行に即した被告人の性格は以上のとおり解すべきものであつて、該性格にかんがみれば、検察官の主張するように被告人は生来冷酷且つ残忍な性格であり、本件犯行も右性格を如実に反映し、端的に現わしたものであるとは認め難いとしても、本件犯行において、被告人の性格中に存在する自己中心的な攻撃性、激発性、冷静さ、大胆さが発現された事実は否定すべくもなく、被告人の悪性、反社会性は重大であるといわなければならない。
四、本件犯行後の被告人の行動、心情等につき考察するのに、検察官は一片の良心の苛責すら見出すことはできないと主張する。なるほど、既に前記三において言及したとおり、被告人は、米三を惨殺したわずか数時間後に銀行において、同人から強取した預金通帳、印鑑等を使用し、自ら預金払戻請求書を作成偽造して現金七〇、〇〇〇円の払戻しを受け、行きつけのマージヤン屋に赴き、その経営者に右現金中から借金を支払い、同店においてマージヤンに興じていた際、警察官から任意同行を求められ、逮捕されたものであつて、被告人の右一連の外形的行動はまことに大胆不敵というの外なく、良心の苛責が認められないと非難されても致し方はない。しかし、前記鑑定人詫摩武元は原審公判廷において、被告人がマージヤンに興じていた心情につき、被告人の心理状態は、根岸夫婦を殺してしまつたことによる犯罪発覚の不安がなくなり、罪の意識がなかつた面が全部とはいえないまでも、相当部分を占めていたものとして理解し得る旨供述しており、又、警察官滝沢忠順も当審公判廷において、被告人は逮捕された当初、預金通帳等を盗んだ事実のみを自白し、根岸夫婦殺害の事実は頑強に否認したが、その直後においては殺害の事実も自白するに至つた旨供述している(この点につき、原判決は被告人の性格の矯正を論ずるにあたつて、被告人が逮捕後素直に本件犯行の経緯を自白したとしているが、それが誤であることは、検察官の指摘するとおりである。)のであつて、これらの供述部分と、被告人が原審第七回公判において提出した供述書によつてうかがわれる当時の被告人の心境とを総合すれば、行動の点はともかくとして、検察官主張のように本件犯行後の被告人の心情に一片の良心の苛責すら見出すことはできないとするのは、いささか酷にすぎるといわなければならない。それにしても、原判決は前記(量刑の事情)の項において、被告人の犯行後の心情につき、「………一見人を驚かすような冷静、大胆さがみられぬでもないが」と被告人の非人間性を非難しながら、続いて、「同時に、やはり内心の混乱、躊躇、興奮、狼狽は、覆い難いものが窺われる。のみならず、特に逮捕に至るまでの行動についても、何かに熱中し、犯行の想起から逃れ、現実から逃避しようとした子供じみた気持の現われと解しうる余地も多分に存するのであつて………」と判示しているが、その後半の判示部分については、被告人は原審第五回公判期日において、「まあ一方では、何かに熱中して、自分の犯したことを忘れようとしたのではないかと思う」旨一部これに符合する供述をしているところ、該供述部分は、前記詫摩証言に対比して信用し難く、従つて、右判示部分は首肯できない。
五、検察官は、原判決が被告人の性格、反省悔悟の情等から、矯正の可能性は極めて大きいばかりでなく、その若年の点等を考慮し、極刑をもつてのぞむよりは、なお社会復帰の余地を残し、その誨化遷善を図るのが適当であると判示した点をとらえ、被告人は粗暴且つ危険な性格であつて、しかもそれが著るしく固定化し、到底社会復帰の可能性はなく、今後矯正される見込みは極めて困難であるから、極刑以外には考えられないと主張する。
本件犯行に対し、極刑をもつてのぞむべきか否かは、後記六において論ずることとして、以上三及び四において当裁判所が被告人の性格等に関して判示したところを総合し、その他記録に現われた全証拠、特に前記詫摩武元作成の鑑定書及び同人の原審公判廷における供述、押収にかかる猟人日記と表記してある被告人のノート(当庁昭和四三年押第八一号の六)及び当審における事実取調の結果を参酌すれば、被告人の性格矯正の可能性については、検察官主張のように、必ずしも極めて乏しいとは認められないが、さりとて、原判決の判示するように、必ずしも極めて大きいとも認められない。又社会復帰の可能性についても、検察官主張のように、全くないとも認められない。
六、既に前記二において摘示したとおり、本件犯行は、その動機、原因、手段、態様、被害結果の重大性、社会に及ぼした影響等のいずれの面から考察しても、全く酌量の余地のない凶悪且つ残忍、非情な所業であつて、前記三乃至五において論じたような、被告人の性格、境遇及び生活態度、本件犯行に至るまでの経緯及び犯行後の情況並びに被告人の性格矯正乃至社会復帰の可能性等を考慮に入れ、又、被告人が未だ若年である点、弁護人指摘の、被告人に有利とされるその余の諸事情、更には、記録及び当審における事実取調の結果によつて認められるところの、被告人に利益とされる諸般の情状を彼此慎重に勘案しても、結局において、前記一において説示したような極刑の有する重大な意義にかんがみ、被告人に対しては、一般予防乃至社会防衛、延いては社会公共の福祉保持の観点から、極刑をもつて臨むことはまことにやむを得ないとの結論に達したのである。いうまでもなく、極刑は回復すべからざる刑である。当裁判所としても、この結論に到達するまでには、再三にわたりあらゆる角度から熟考反省してみたのではあるが、遂に右の結論に到達せざるを得なかつたものである(若し、仮りに本件犯行がきぬ一名の殺害にとどまり、金品強取の事実があつたとしても、米三をも殺害するという事実がなかつたとすれば、量刑上参酌すべき余地がないとはいえなかつたであろう。米三をも殺害した事実は、被告人のためまことに惜しまれてならない。)。これを要するに、原判決が被告人に対し無期懲役刑を科したことは、その量刑軽きに失したものといわざるを得ない。検察官の論旨は理由あるに帰する。
(栗本 石田一 金)